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「迷信」の迷走ストーリー。

オールドファン(高齢ファンと言うべきか 笑)にはおなじみの話ですが、BBAのアルバムに入っている「迷信」(Super Stition)は、「スティービーワンダーがジェフベックのために書いた曲なのに、スティービーワンダーが先にリリースしてジェフベックが怒った。そのお詫びにスティービーワンダーは”哀しみの恋人達”(Cause We’ve Ended As Lovers)をプレゼントした」というやつです。
ただ、自伝やJeff’s Bookを読むとそのニュアンスは少し違っていて、「怒った」と言うほどのことではなく、ジェフベックとスティービーワンダーの間になにか亀裂が生じたというわけでもないようです。これらの話の細かいことは、過去にあまり見かけたことがないのでJeff’ Bookと自伝から探ってみました。


「迷信」にまつわるざっとした話の流れ。
・1972年5月下旬に、N.Yでスティービーワンダーとのセッションで「迷信」が誕生。第二期のメンバー+スティービーワンダーで録音。
・ジェフベックはスティービーワンダーのTalking Bookに2曲参加
・ジェフベックグループは、6月以降のライブで「迷信」を演奏。
・7月初旬にすでにレコーディングされた「迷信」のドラムが、カーマインアピスに置き換えられる
同時に、キムミルフォードやジェフベック自身のボーカルバージョンも録音。
・第二期メンバーでの活動は7月下旬で終了。
8月からは、リズム隊がアピス&ボカートになって移行期のメンバー。

・9月からはトリオになりBeck Bogart & Appiceとして活動。
・11月にスティービーワンダーの「迷信」がモータウンから発売されて大ヒット。
・12月Beck Bogart & Appiceアルバムのレコーディング。ここで再び迷信をレコーディング
・アルバムは、1973年3月にリリース。
・1974年 Blow By Blowレコーディング時に、スティービーワンダーが”迷信騒動のお詫びとして”「哀しみの恋人達」をジェフベックにプレゼント。
・1975年3月 Blow By Blow発売。


Stevieとのセッションが実現。
1972年1月に第二期のセカンドアルバム(通称オレンジ)をレコーディングしましたが、その中にスティービーワンダーの「I’ve Got Have A Song」(アルバム「Signed, Sealed & Delivered」)があります。ジェフベックはかねてからスティービーワンダーの音楽には憧れを抱いていたようです。このジェフベックグループを結成する際にもコージーパウエルとともにモータウンでセッションも行っていたりして、モータウンサウンドに惹かれていたようです。

5月7日の日曜日にデトロイトのCobo Hallで行われたコンサートは、ジェフベックグループ/スティービーワンダー/フリーのラインナップで行われました。ジェフベックはスティービーワンダーとモータウンのスタッフのパフォーマンスをとても興味深く見て、彼らと何か一緒にやりたいと思ったようです。
その時、ジェフベックのステージは機械トラブルのために1時間遅れたそうですが、スティービーワンダーのオープニングアクトは、群衆を落ち着かせるのに十分なくらい強力だったとベーシストのクライブチャーマンが回想していたそうです。
その後、モータウンとエピックによってジェフベックとスティービーワンダーによるセッションが実現することになり、ジェフベックは有頂天になるほど喜んでいたようです。

ジェフベックグループは、5月22日に予定されていた公演をキャンセルして、N.Y.のElectric Lady Studio(ジミヘンドリックスが作ったスタジオ)に飛びました。なぜなら、そこではスティービーワンダーが、新しいアルバムの制作をしており、なおかつその後スティービーは、6/4からローリングストーンとのツアーが始まるため時間がなかったからです。
なおこのセッションはアーネストチャップマン(ジェフベックのマネージャー)とエピックによって調整されました。とにかくジェフベックは、スティービーワンダーとのセッションを非常に楽しみにしていました。

第二期メンバーで迷信をレコーディング
ジェフベックグループは、5月23~25日までN.Yに滞在しました。スティービーワンダーとのセッションでは、シングル盤用の曲をレコーディングする予定でした。アルバムからはシングルカットするべき曲がないと考えていたからです。
3日間で4つの曲がスティービーワンダーと共にできあがり、さらにスティービーワンダーは、余力でその場で歌詞をつくったようです。その曲のひとつが、Maybe Your Baby(Talking Book)で、ジェフベックは、それをシングルに使いたいと思いましたが、スティービーワンダーはこの曲をあまり渡したくはなかったようです。


そもそもジェフベックがシングル用にと行ったスティービーワンダーとのセッションなのですが、曲のできがよかったのか、できあがった曲をスティービーは渡したくなくなった様子で、ジェフベックは、やはりシングル用の曲をつくってくれと頼みました。それならと約束した後、スタジオでベックが遊びで叩いていたドラムにインスパイアされてスティービーは迷信のリフを思いついたそうです。
それにはまさに強力な商業的可能性を感じたそうで、ジェフベックは後に「世紀のリフ」と表現しています。スティービーワンダーもまた商業的可能性を感じたようで、後にこのデモをモータウンに聴かせます。なお自伝では、ジェフベックは当時のスティービーワンダーのことを「ケツから音楽があふれ出るようなヤツ」と評していました(笑)

DVD「STILL ON THE RUN THE JEFF BECK STORY」の中でもこの時のことを少し話しています(Stevieとの写真も)。ランチから帰って来たスティービーが、ドラムで遊んでいたジェフベックのドラムに合わせてクラビネットで迷信のリフを思いつき、その後ベースやとりあえずの歌などあっという間にデモを作ってしまったというようなことを話しています。

「迷信」は、ジェフベックグループの新しいシングル用に、スティービーワンダーと第二期メンバーで正式にレコーディングされました。元のアイデアでは「ジェフベックとスティービーワンダー」共同クレジットで曲をリリースする予定だったようです。そうこうしているうちに時間もなくなってきたので、取り急ぎボーカルのオーバーダブとミックスを行ったようです。曲としては、「迷信」の他に「Thlonius」(Blow By Blowに収録)もこの時にもらったそうです。
ジェフベックは楽曲のお礼として、当初の計画通り(と書いてあるので、モータウンとエピックの間でそういう話になっていたのでしょう)スティービーワンダーの「Talking Book」で2曲(「Lookin’ For Another Pure Love」「Tuesday Heart Brake」)ギターを弾きましたが、収録されたのは1曲「Lookin’ For Another Pure Loveだけです。

※このあたりの流れがベックの自伝とJeff's Bookの記載とは少し異なります。
Jeff's Bookでは、先にセッションと曲作りがあり、その後アルバムでギターを弾いたと書いてありますが、自伝では逆です。またJeff's Bookでは、ジェフベックが遊びで叩いたドラムにヒントを得て迷信のリフを弾いたとかいてありますが、自伝ではジェフベック達が出かけていた間にスティービーワンダーが作っていたと書いてあります。
自伝は、ジェフベック本人が承認しているとすればそちらが正しいと考えられますが、ジェフベック本人の記憶も曖昧だろうし、Jeff's Bookは、日にちを追って逐一行動が書いてあるので、時系列的にはそちらの方が信憑性があるとも言えます。この辺りは分かりませんね。Jeff's Bookには、かなり子細にジェフベックの動きが書いてあるのにTalking Bookの参加がいつ行われたかは書かれていません。


*N.Y.でのレコーディングリスト( Jeff' s Book)
BBAでやっていたLose Myself With Youがあるのが興味深いところです。第二期ではLet Me Love Youをファンキーにやっていましたが、そのアレンジがBBAのLose Myself With Youとまったく同じです。これは、有名なBBCライブの海賊盤で聴くことができます。また9月の初旬にBBAで2曲レコーディングしているんですね。この時に「迷信」のBBAスタイルができたのかも知れません。知らんけど(笑)

BBA構想の再燃。
さて、当時Electric Lady Studioでは、J.ガイルズバンドのほかに、偶然、Cactus(カーマインアピス&ティムボガート)もレコーディングを行っていました。
第1期ジェフベックグループの後にカーマインアピス&ティムボガートとのバンド計画が、アクシデント※1により実現できなかったので、ジェフベックはチャンス再来と思ったのかも知れません。カーマイン&ティムとのコラボレーションに再び興味が湧き、そっちの計画に夢中になってしまったようです。

そのため、ジェフベックグループ(第二期)とのレコーディングに興味がなくなり、スタジオ作業(迷信の仕上げか?)を中止し、密かに新グループ結成に動き始めたようです。翌日にはマネージャーがクライブチャーマンと解雇契約について話をまとめたと書いてあります(雑誌などには、よく「最後の公演後に突然解雇を言い渡された」と書いてありますが、そうではないようです。そりゃそうですよね「ロッドやロンウッドと犬猿の仲」説もそうですが、昔からメディアで報じられていた話にはかなりメディアの妄想や誇張が込められているようです)。

※1注| アクシデント :雑誌にはよく「自動車の運転をしていたら、動物が飛び出してきてハンドルを切り損ねた」というようなことが書いてありますが、DVDの中で本人が語るには「T型フォードが整備不良で、突然斜めに走り出して制御不能になり、対向車と正面衝突した」(その結果半年入院し、カーマイン&ティムはCactusを結成してしまった)ということらしいです。

「迷信」の迷走。
6月に入るとイギリスでオレンジアルバムがリリースされ、最初はイマイチだった批評も徐々に良いものになっていきました。そして5月以降のジェフベックグループのライブ音源を聞くと「迷信」が演奏されています。アレンジはBBAのではなくスティービーワンダー版に近いもの。また、Thelonius(の一部か?Blow By Blowに収録されている構成とは異なるもの)も「I’ve Got Have A Song」の前にジャムセクションのようにくっつけて演奏されています。同じスティービーワンダーの作品だからくっつけたのでしょうかね。6/29にはBBCの「In Concert」の収録がロンドンの400席のパリス映画館で行われ、7月8日土曜日に放送されました。これは音質の良いブートレグが出ています。(これには迷信は入っていません)

7月の最初の週末に、ジェフベックとマックスミドルトンはElectric Lady Studioで「迷信」を仕上げるために再びN.Yに飛びました。スティービーワンダーはストーンズとのツアーで不在のため、彼のレギュラーチームのスタッフと作業をしました。
この時にカーマインアピス&ティムボガートとの話をまとめ、「迷信」はジェフベック自身のボーカルテイクと、アーネストチャップマンが見つけてきたキムミルフォードという若くてカッコいい歌手のテイクも録りました。また、ベーシックトラックはスティービーワンダーのキーボードが使われ、コージーのドラムはカーマインアピスに置き換えられました。(つまりこの時点で、ジェフベックグループはメンバーを変更する事が決まっていたということですね)
一方「迷信」のデモテープは、スティービー自身も一応モータウンに聴かせて判断を仰ぎました。そしてモータウンは「誰にも渡すな」と言うことになったそうです。

これを聞いてジェフベックは、残念がるも冷静に受け止めたそうです(このあたりが、昔から「ジェフベックが怒った」と言われていたニュアンスと少し異なります。「そりゃそうだよなぁ」と思ったのかも知れません)。
ただ、先にも書いたように第二期後期のライブでは「迷信」や「Thlonius」が演奏されています。そういう面では、スティービーワンダーよりも先に世間に披露されています。

*20223.1.16 追悼記事に下記のような内容があったので引用追記します。

スタジオに入ったワンダーとベックは、当時ワンダーが書いた別の曲「Superstition」(邦題:迷信)もプレイした。ワンダーはもともと、ベック・ボガート&アピスのためにこの曲を提供することに同意していた。そのトリオが先に 「Superstition」をレコーディングしたが、モータウンはこの曲のヒットの可能性に気づき、ベック・ボガート&アピスが1973年のデビューアルバムを出す前に、ワンダーのバージョンをリリースすることになった。

「『聞いてくれ、これはジェフ・ベックのために作ったんだ。彼はこの曲が好きなんだ』とモータウンに言ったよ」と、ワンダーはフリー・プレス紙にそう語っている。「私は『Sunshine of My Life』を最初のシングルにすべきだと思っていた。彼らは『ダメだ、ダメだ。最初のシングルは『Superstition』にするべきだ」と突っぱねてきた。だからジェフのところに戻って、この件で相談したんだ。
From Rolling Stone US.

第二期からBBAへ。
第二期メンバーでの活動は、7月23日ロンドン・ラウンドハウスでのコンサートが最後になり(N.Yレコーディングの際にカーマイン&ティムとのコラボに興味が行ってしまい、第二期をそそくさと終わりにしたようです)、8月1日からのアメリカツアーでは、カーマインアピス&ティムボガート、キムミルフォード(マネージャーのアーネストチャップマンが連れてきた)、マックスミドルトンでスタートします。しかし、キムミルフォードはすぐにクビになり8/9からはボブテンチが呼び戻されてツアー続行。2週間後にツアーを終えた時点で3人のトリオになります。

*呼び戻されたボブテンチ

 

*1975年ワールドロックフェスティバル時と同じシャツ(笑)

Beck Bogart & Appiceの誕生です。しかし、バンド名はまだジェフベックグループのままでした。ちなみに1973年に来日した際の日本の広告にも「ジェフベックグループ」と書いてありました。Beck Bogart & Appiceの名前は9/23のコンサートから使ったようです。そして秋のヨーロッパツアーの頃の音源を聴くと、「迷信」はすでにBBAスタイルで演奏されています。ただ、ギターはまだストラトキャスターで、トーキングモジュレーターも使われていませんでした。
この時期の活動について2023年発売のBBA BOXセットのライナーノーツには、カーマインアピスは「ジェフのバンドのサポートというスタンスだった」と言っています。
ですので、公式にBBAとなるのは12月のアルバム制作以降ということになります。

そうこうしているうちに、11月にはスティービーワンダーの「Talking Book」と「迷信」が発売になり大ヒット。
12月に入るとBBAはアルバムの制作に入り、翌年の3月にリリースされます。ここでやっとジェフベックの「迷信」は日の目を見ることになります。スティービーワンダー版の4ヶ月遅れですね。
しかし、BBAの迷信は、スティービーのそれとは別曲と言ってもいいほど、かっこいいロックなアレンジが施されています。

*レスポールスペシャルを弾いている珍しい写真。右上は日本公演のチケット(Jeff’s Book)


ところで、BBAと言えば、黒いレスポール言われているいわゆる「オックスブラッド」が有名ですが、いろいろな状況から推測すると11月4日にテネシーでコンサートがあった前後(つまりレコーディングの前)に、メンフィスの楽器店で手に入れたようです。たまたま、誰かが売りに来ていたものを見て一目惚れして手に入れたというようなことが何かの雑誌に書いてありました。BBAのアルバムでは全編にわたってこのギターが使われていると思います。
2009年には、ギブソンから精巧なレプリカが世界50本限定で発売されました。(その1台を弾いてみたレポート)

上のBBA写真でレスポールスペシャルを弾いていますが、3人になったことでストラトでは音が頼りなく、レスポールのような太い音の必要性を感じていたのかも知れません。それで、レスポールの良いのを探していて、オックスブラッドに出会ったのかも(完全憶測&妄想  笑)。

「迷信」はライブでは、冒頭のリフがトーキングモジュレーターで演奏されていました(Live In japanに収録)が、自伝によると、あれはスティービーワンダーのクラビネットを模したそうです。また、あのトーキングモジュレーターはスティービーワンダーからもらったと雑誌に書いてありましたが、Kastum Electric社という現存しないメーカーのもので、同型のものを見る機会がありましたのでこちらで紹介しています。

その後「迷信」騒動のお詫びとして、Blow By Blow録音時に「哀しみの恋人達」がジェフベックにプレゼントされましたが、これはすでに発売されていたスティービーワンダーの奥さんであるシリータのアルバムに入っている曲で、ジェフベックに新たに書き下ろしたというものではありません。こういうのを「プレゼント」したというのはどういうことなんでしょう?「演奏しても良いよ」って事なのでしょうか?

※追記(2023.2.12)「哀しみの恋人達」はスティービーからプレゼントされたという受動的な話ではなく、シリータのアルバムを聴いたジェフベックがそのメロディに感動しギターで弾いてみたのをきいたマックスミドルトンがインストでやることを奨めたと本人が話していました。


「Electric Lady Studio」
N.Yのグリニッチビレッジの地下にあったライブのできるナイトクラブが閉鎖されたのをジミヘンが買い取り、再びライブのクラブとしてオープンさせようとしたのをスタッフがプロ向けのスタジオにするよう進言。多大な借金などをしながら完成させましたが、ジミヘン自身は10週間しか使えなかったそうです。当時ミュージシャンが所有する唯一のスタジオだったそうです。言い換えれば、ミュージシャン自身がスタジオを所有するハシリ。その後、経営不振で閉鎖されましたが、投資家の支援で再開され、若いミュージシャンなどに使われて現在に至っています。WEBに味わい深い写真が載っています。
http://electricladystudios.com


*第二期メンバーによる最後の公演での「迷信」


*Talking Bookのジェフベック参加曲
1:48あたりから素晴らしいソロ。時期的に考えるとストラトで演奏されていそう(スティービーと一緒の写真でもストラトを持っている)ですが、レスポールのようにも聞こえます。


2020.9.1

*追記(2023.2.12)
後年、ジェフベックは「BBAは単に契約の消化のためにやっただけだ」という風に言っていたようですが、この経緯や自伝的映画「Still On The Run」の中でのBBAについての話では、まんざらでもなかったように思います。やっているうちに上手く行かなくなって破綻してしまった言い訳に「契約消化」とか言っていたのではないでしょうかね(笑)

*2023.9.26追記あり