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独断と偏見によるジェフ・ベックの音楽史。

憧れのロカビリーアイドル

一般的には、あまり認識されていませんが、ジェフ・ベックのギターの原点はロカビリーです。ブルースではありません。ブルースバンドであるヤードバーズの頃の演奏を聞いていても、ブルースというよりは、ロカビリーのテイストがそこかしこに覗いていて、それがバンドの個性にもなり、ヤードバーズをただのブルースバンドでなくしていたような気がします。
有名なジェフズブギーもサウンドはロカビリー的ですね。ジェフ・ベックがジーンビンセントとともに影響を受けたレスポールのヒット曲「How High The Moon」などを聴いても、ジャズギタリストと言うよりはロカビリーなテイストです。

ソウルミュージックへの憧れ

その後のロッドスチュアートやロン・ウッドとのジェフ・ベック・グループでは、ブルースを基調にしたサウンドでしたが、ジェフ・ベックのギターソロなどは、決してブルースのそれではありません。やはりまだロカビリー的なアプローチがあり、それがブルースフォーマットの中では、独特の鮮度になっていたように思います。また、元々ソウルミュージックへの興味もあったのが、この頃、ちらほら覗きます。「白いサム・クック」であるロッドをボーカルに据えたことも単にブルースと言うより、もう少しひねりの効いたサウンドを目指していたのでしょう。この当時、ライブでは、アレサフランクリンの大ヒット曲「Natural Woman」(キャロル・キング作)をインストでやったりしています。

モータウンへの憧れ

このソウル志向が、次のジェフ・ベック・グループで明確になります。
その時、BBA結成の予定がジェフの自動車事故で没になりますが、BBAにしてもカーマイン・アピスなどはアメリカ人であるし、のちの活動をみてもソウルフルな面を持っています。後に実現したBBAではソウルフルなボーカル(というと批判もあるでしょうが 笑)を披露していますし、幻のセカンドアルバムのプリプロ音源を聞いても、モータウンのような曲が入っています。
だから、第二期ジェフ・ベック・グループでモータウン的なサウンドを目指したのは、ごく自然な流れだったのでしょう。
メンバーとしてコージーパウエルだけが決まっている段階で、モータウンへセッションに行っています。何かつくりたいイメージがあったのか、あるいは行ってセッションするウチに何かアイデアが得られると思ったのか分かりませんが、モータウンのミュージシャンとインストルメンタルを数曲レコーディングして帰ってきています。しかし、結果は散々だったとのことで、どうやら、ベックがイメージしていたモータウンのミュージシャンイメージとはマインドが違ったようです。

気を取りなおして集めたメンバーは、モータウン的なベースやジャズ的なピアノなど、今までのベックの周りにはいなかった人でした。
そこから生まれた音楽は、モータウンのサウンドを少しヘビーにして、ベックのロック的なギターを載せた斬新なものでした。70年代の初頭でまだブルースロックやハードロックが全盛の頃、ソウルを取り入れたロックサウンドは、他のロックバンドとは一線を画していました。
ソウルと言ってもモータウンに憧れたジェフベックのソウル志向は、あくまでポップで都会的なものだったように思います。

後の「迷信」騒ぎでも分かりますが、ジェフ・ベックは当時スティービーワンダーに憧れており、オレンジアルバムでは、スティービーの「I’ve Got Have a song」をカバーしています。スティービーの持つメロディアスでかつビートがあり、分かりやすい明るさみたいなものが欲しかったのではないかと思います。

第二期ジェフ・ベック・グループの後期には、スティービーとのセッションが実現し、有名な「迷信」をもらって、当時のライブでは「迷信」を早くも披露しています。しかし、その後のすったもんだがあり、レコードとしてはスティービーに遅れること4ヶ月余り、BBAの曲として「迷信」が発売されました。
第二期ジェフベックグループからBBAには、段階を経て移行するという感じだったのですが、それは音楽性が共通していたからです。
BBAでは3人組になりサウンドはハードロック的にはなりますが、曲の傾向は第二期と近いものです。

ハードロックではないBBAの音楽性

BBAは「クリームの再来」のように言われていたようですが、クリームとはぜんぜん違うサウンドです。クリームがブルースやロックンロール的であったのに比べて、BBAはR&B的であり、後期ではジャズロック的です。スタジオ盤の「迷信」とライブ盤の「迷信」を比べると、ライブのほうがとてもタイトでファンキーになっています。ハードロック的でありながら、16ビート的なファンクを兼ね備えていたのがBBAで、レッドツエッペリンの16ビート的感覚よりもっとファンク的です。このあたり、ジェフ・ベックの中にかなり濃くソウルというかモータウン的な志向があったのだと思います。

しかし、その頃、新しい興味がジェフ・ベックにもたらされます。ビリー・コブハムのスペクトラムです。ジャズ・ロックというある技巧的エモーションの世界。BBAが頓挫した理由は、メンバー間、特にジェフ・ベックとティムボガートの仲の悪さが言われていますが、ジェフ・ベック自身、BBAのサウンドよりスペクトラム的なグルーブに興味が行っていたのではないかと思います。その辺とティムやカーマインが合わなくなったのではないのでしょうか。BBA後期、解散間際には、インストルメンタルでジャズ・ロック的な曲をやっています。スペクトラム的なサウンドをジェフ・ベックなりに模索していたのではないかと思います。で、BBAではうまく行かない。その時、ぜんぜん違う方向(UPPのジムコープリーの父親が経営するスタジオをジェフベックも使っていた)からUPPに出会い「これだ!」と思ったのではないでしょうか。そこでBlow By Blowのコンセプトが明確になった。Blow By Blowのサウンドは、UPPととても似ています。

インストメンタルの追求

その頃にBBAにマックス・ミドルトンが加わって行ったセッション音源がありますが、Blow By Blow的ではあるけど、固くてファンキーさが足りない、そんな感じがします。それでジェフ・ベックがカーマインではだめだなと思って、新たなメンバーとして、ゴンザレス関連のフィルチェンとリチャードベイリーが抜擢されたようです。ちなみにフィルチェンとは、ヤードバーズの頃から知り合いだったとJeff’s Bookには書かれています。第二期ジェフベックグループのクライブチェアマンもフィルチェンもモータウン的なベーシストです。ドラムのリチャードベイリーは、無名の頃のボブマーリィとも演奏していたキャリアを持つ若き(当時18歳)ファンキードラマーです。後にインコグニートのドラマーをしていたことからもその特性が分かります。リチャードベイリーに変わったドラムは、BBA後につくったプリプロ音源と比較すると同じ曲でも実にしなやかでファンキーです。

日本にも来た1975年のBlow By Blowツアーでは、リチャードベイリーに変わってファンキーの雄、バーナード・パーディが参加していることからもかなりファンキーなサンドを志向していたのだと思います。

ロカビリー〜ブルース〜ソウル〜ジャズ・ロックと変遷してきた志向がソロ以降にしばらくジャズ・ロック的なものを漁る感じでWired、ヤン・ハマーとのライブ、There And Backときて、このあたりでだいたいやり尽くした感があったのではないかという気がします。
There And Backは、ジャズロック的なアプローチの集大成のような位置づけではないでしょうか。ただ、興味深いのは、このアルバムにはヤンハマーとトニーハイマスという、ここまでのベックを支えてきたキーボードプレイヤーとこれから何年かを支えるキーボードプレイヤーが参加していることです。しかも、ジャズ的なヤンハマーに比べると現代音楽畑のトニーハイマスは、スペーシーでジャンルの分からない独特の和音の世界観を持っています。その2つが共存するハイブリッドな内容です。
しかし、ジャズ的なことをひととおり追求して、行き先をなくしてしまった感があり、それで、血迷って次のFlashではダンスミュージックのナイルロジャースなどにプロデュースをたのんで中途半端なアルバムになり、ジェフ・ベック最大の駄作と呼ばれてしまいました(^^ゞ

迷走期

1985年にFlashツアーの一貫で来日した時は、軽井沢でのサンタナとのイベントなどもあり、日本では大いに盛り上がりましたが、リハーサル不足だったのか、間違いまくっていました。前回の1980年There And Backが非常にまとまっていたのとは対照的でした。
とは言え、Flashには、血迷ったような曲に交じって、ロッドとの共演で有名なPeople Get Readyやグラミー賞にもなったEscape(ヤンハマー作)などの名作も収められていました。しかし、要するにバラバラなアルバムだったということでもあります。

その後、ミック・ジャガーの初ソロアルバム「She’s A Boss」をベックのバンドがやり、そのプロモーションなどでテリー・ボジオと出会うことでベックが刺激され、1989年の「Guitar Shop」のアルバムへとつながります。アーノルド・シュワルツエネガーの映画「ツインズ」のサウンドトラック&ちょい出演でもトリーボジオと共演しています。

There And Backから参加しているトニー・ハイマスは、過去のキーボーディストとはまた違った世界観の人で、そこに新鮮味を見出していて、Flashで反省したジェフ・ベックは、新たな境地を見出します。
現代音楽を畑とするトニー・ハイマスの和音やリズムの世界観は、今までとは全く違ったもので、そこにこれも今までとは違う畑のプログレ的なテイストを持ったテリー・ボジオが加わることで、過去のジェフ・ベックにはない宇宙的と言うかスペーシーな世界観が生まれてGuitar Shopというアルバムに反映されます。

この頃(Flash頃から)、すでにジェフ・ベックは指だけで弾くようになっていて、そのサウンドもまた、過去のジェフ・ベックとは違った音で、スペーシーな世界観の中でよりしなやかに自由に動き回る感じがします。
1995年に行った北米ツアーでは、ベースにピノ・パパラディーノが加わり、この頃のジェフ・ベックの演奏は、まさに神がかったようであり、Charの表現を借りれば「弾いていないようなのに音が出ている」感じです。このときのライブのプロショット映像はないものでしょうか。
しかしこの頃、世間では、ダンス音楽がメインストリートになり「ギターソロなんて聴くやつが居ない」と言って10年間、ジェフ・ベックはオフィシャルアルバムを出していません。しかし、ジェフ・ベック自身、やろうと思っていたことをやり尽くしていたのではないかという気もします。

そういったアイデンティティを確認するかのように1990年にロカビリーのアイドル、ジーンビンセントのトリビュートアルバムを出してファンを混乱させます。
このアルバム「クレイジー・レッグス」では、ビッグ・タウン・プレイボーイズというロカビリーバンドを従えて、ジーン・ビンセントの完コピーをやっています。まさに原点はこれだよなということを自己確認しているかのようです。そして、1989年から1999年の「Who Else」まで、オフィシャルアルバムの出ない沈黙の10年間となります。
ただ、その間は、何もしていなかったわけではなく、他人のアルバムで弾いたり、セッション企画で弾いたりしています。中でも、ジミ・ヘンドリックストリビュートアルバム「Stone Free」で、シールと共に演奏するManic Deplesionは、ジェフベック史の中でも特筆すべき素晴らしい演奏です。

このホームページを始めたのは1998年で、そのマインドは偉大なのにロック界から忘れられた存在になりつつあったジェフベックの魅力を世間に知らしめたいという気持ちからでしたが、その1年後に10年ぶりのアルバムがリリースされたということです。

デジタル(テクノ)路線からオーガニック回帰

1999年、10年ぶりに出た「Who Else」は、ドラムンベースなどのデジタルサウンドをベースにしたアルバムで、ここから「Jeff」まで、デジタル系で有名なプロヂューサーやアーチストを起用したデジタル3部作が続くのですが、結果的には、ジェフベック自身もさほど上手く行ったとは思っていなかったようで、「Jeff」発売直後に「オーガニックな音楽に戻す」と言っています。さらにその後すぐにB.B.Kingレストランで、トニーハイマス、テリーボジオとともに演奏したライブアルバムを出します。その内容は、ほとんどが過去の曲でした。

その段階でデジタル路線からは離れていきます。ただ、その時期の曲でも何曲かは、オーガニック路線に戻ってからも演奏されていましたので、曲自体は気に入っていたということだと思います。

バラエティー路線へ

その後は、ロック時代の過去の曲も演奏するようになり、コンサートではいろいろな時代の曲が演奏されるようになりました。それと同時にオーケストラやクラシック的なアプローチも見られるようになり、ますますジャンルが融合してきます。そういう時期を経て発売された「Emotion&Comotion」は、それらの集大成的なアルバムです。まさにいろいろなタイプの曲が入っていますが、ジェフ・ベックのギターは同じなんです。そこがジェフ・ベックのジェフ・ベックたるところで、どんな場面でもジェフ・ベックの個性が曇ることはなく、また逆にどんな音楽スタイルにもあってしまう(合わせてしまえる)というものになっています。もうロックとかそういうジャンル分けする意味がないというか、まさに孤高な存在になっていきます。

2009年にマネージャーが変わり、ジェフ・ベックは精力的に活動し始めます。レス・ポールのトリビュートやツアーなども活発に行うようになり、ある程度メンバーも固定されてきました。逆に言えば、どのコンサートもさほど違いがなくなってきたとも言えます。
それは、悪いことではなく、安定したジェフ・ベックが見れると言うことでもあります。デジタル路線以前のスリリングなジェフ・ベックを知っているファンには少々物足りない面もありましたが、ジェフ・ベックのキャリアや年齢を考えると仕方ないとも言えます。

ハリウッドボウルで行われたデビュー50周年記念のコンサートには、ヤン・ハマーやスティブン・タイラーなど豪華なゲストも参加し、久しぶりに演奏された往年の曲もありました。ジェフ・ベックとしても、ひとつの節目となったのではないかと思います。しかし、並行して発売されたアルバム「Loud Haler」では、ロック的なシンプルなアプローチで女性アーチストを活かした新鮮な内容になっていました。この頃にロッド・スチュアートのコンサートの後に一緒に6曲くらい昔の曲を演奏したり、ロン・ウッドと共に第一期ジェフ・ベック・グループの再結成の話が出たりしていました。

ジェフ・ベックの場合、1975年のソロになって以降は、バンドと言うより、誰かと共同で何かをつくり、そこにギターを載せるというスタイルなので、相手によって内容がごろっと変わります。最後のアルバムになってしまったジョニー・デップとの「18」も同じです。
特にこのアルバムは、図らずともジョニー・デップとの記念盤的な内容で、ジェフ・ベック自身が「若い頃を思い出した」的なコメントをしています。そのすぐ後に病気になって死んでしまったのは、あまりにもストーリーが良くできすぎています。

総括

ヤードバーズからジェフ・ベック・グループ〜ソロと、ひたすら斬新なもの、自分が追い求めるものを追求してきたのが、There And Backでひととおり満足し、また、それまで追求してきたバトル的な音の作り方が廃れてきて飽きられてきた、あるいは自分自身でも飽きてきて、どうしようかと試行錯誤している中で、もう一踏ん張りしたのがGuitar Shop、しかし、そこでもう興味が尽きてしまったのではないかという気がします。

10年ぶりに発売したWho Elseの頃には、すっかり社会背景、音楽環境も変わっていて、自身の中の感性やギターの方法論をどんなフォーマットに載せたら面白いのかというのを模索していた様な気がします。自身のアルバムでは、有り体なことはしたくないという天の邪鬼な性格からいろいろ模索しては落胆しということを繰り返していたのではないでしょうか。
しかし、やっぱりジェフ・ベックのロック的なギターは、オーソドックスな音楽の中でのびのび輝くような気がします。それらの時期に他人のアルバムで弾いているギターの方がのびのびしていて楽しそうに聞こえます。新鮮なことをしなくてはいけないというプレッシャーがない分、リラックスして、むしろジェフ・ベックらしさが全開しているようなものもあります。

個人的には、晩年は斬新なことなどしなくて良いから、オーソドックスな音楽のフォーマットで、ヘンテコなギターを聴かせて欲しいと思っていましたが、叶いませんでした。特にロッドやロン・ウッドとの第1期ジェフ・ベック・グループの再結成は見たかったですね〜。
晩年のライブで、ボーカル曲もよくやっていましたが、ジェフ・ベックのギターは、やはりボーカルの合いの手が凄く良い。そしてバッキングも独特のバッキングをします。そういう演奏をもっと聴かせて欲しかったなぁなんて思います。

今までにないスタイルの斬新な演奏も良いけど、ジェフ・ベックのギターが生き生きとするのは、やはり歌と一緒に歌っているときだったのではないかという気がします。
2023.522加筆