「Jeff’s Book」は、海外だけで売られていた物で1969年から1980年までの、ジェフベックの動きが細かく記されています。テレビ出演、ラジオ、誰に会ったとか、発売されていないレコーディングとか。全編もちろん英語なので読むのに苦労するのですが、少し拾い読みしてもマニアには興味深いことがいろいろ書いてあります。
また、珍しい写真も載っていて、レスポールデラックスを弾いている写真やBBAになる前にボブテンチが入っている写真など。
1970年の7月1日から10日まで、ベック、コージーパウエル、そしてマネージャーのミッキーモストと3人でモータウンのTamalaでレコーディングをしています。結果は、文化の違い
で散々な結果だったらしいのです。
ベックたちは、現地に行ってヘッドアレンジで作っていこうと思っていたらしいのですが、現地は譜面も何もかも用意されているものだと思っていたようです。また、コージーの26インチのドラムを持ち込んだものだから、音がでかすぎるとか(笑)いろいろ衝突があったようです。
それについての小さな記事が雑誌に出ていたようでそれが載っています。
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「デトロイトでのパニック」
ジェフベックは、1970年の夏にモータウンを訪れたが、聞くところによるとあらゆる面で文化が違ったようだ。
ホワイトロックに比較的オープンなアトランティックレコードに比べて、より閉鎖的な組織であるモータウンを代表するプロデューサー、Berry Gordyは、ミッキーモスト、ベック、コージーパウエルをスタジオに迎えるために、明らかに準備が十分ではなかった。
彼らは、ジャム中のミュージシャン達(彼らはレギュラーのセッションミュージシャンでもある)が手を広げて迎えてくれたので期待した。しかし、コージーのドラムキットを入れるためにBenny Benjaminのドラムセットを運び出しながら誰かがたずねた「やる曲はどこに用意してあるんだ?」と。
ベーシストのJames Jamersonは、ジェフに伝えた。「モータウンの音が欲しいんじゃないのか?なのにそれを運び出すのか?」
ベックはこの時のことを後年このように話している。
「確かに僕たちは行った。しかし、準備ができておらず、音楽的にも準備不足で、恐ろしいほど混乱した旅だった。モータウンのバッキングに僕の音楽やギタースタイルを組み込むのは良いアイデアだったが、悲惨にバタバタするに終始してしまった。」
ミッキーモストは、後年John Toblerに次のように説明している。「信じられない素晴らしい10日間だった。いろいろやったのに何もやっていないなんて。半ダースあまりのレコーディングからオフィシャルにリリースされたものは何もない。ただし、1991年に発売された3枚組みのBeckologyに含めることも検討された。」
★モータウンでRecordingされた曲は以下の通りだと記録されています。
1970.7.1〜10
Reach Out,I’ll Be There
(I Know)I’m Losing You
Can’t Give Back The Love
Just Like You Never Loved Me
Don’t Give A Hoot