昭和なロック好きの人には説明するまでもないジミーペイジですが、半世紀も経つと、のっぽさんに似た白髪の老人にしか見えない人も多いと思います(笑) 詳しくは調べていただくと良いですが、ジミーペイジはLed Zeppelinをつくって、いわばプロデュースしていたギタリストです。プロデューサーがギタリストもやっていたと言っても過言でないほど、Led Zeppelinにおけるジミーペイジの存在は大きいものでした。
ジェフベックとジミーの接点は、3つあって、1.高校生の頃にジェフベックの姉によって引き合わされた。2.ヤードバーズではジェフベックと同時期にベースとして加入し、ギタリストになり、ジェフベック脱退後はヤードバーズを率いた。3.beck’s Boleroの作者であり、アルバムではサイドギターを弾いている。という点です。
お姉さんが引き合わせてくれた運命の出会い。
弟というものは、姉の影響を受けやすいようで、それは女性が世話好きだからでしょうか。高校生の頃、すでにマニアックに音楽を聴き自分でギターをつくったりして、とにかく新しい音楽に夢中になっていたジェフベックには、同級生にそういう趣味を共有できる人がおらず、家で腐っていたそうですが、そういうジェフに「あなたと同じように音楽に詳しくて風変わりな子が他の学校にいるらしい」という噂を聞いた姉の計らいで、ジミーペイジと引き合わせてもらえたそうです。ジェフとジミーは初対面で兄弟のように意気投合し、それからはしょっちゅう交流して、音楽の話に明け暮れたそうです。
ジミーのキャリアのスタート。
ジミーは早くからセッションミュージシャンとしてスタジオワークを始めており、ジミーの自伝などを読むと、その頃から新しい音楽スタイルとしてのLed Zeppelinを構想を描いていたようです。やがてベーシストがいなくなったジェフベック時代のヤードバーズにベーシストとして迎えられます。その後、ジミーがセカンドギタリストになってジェフベックとツインリードの時代があります。そして、ジェフベックが突然脱退してしまった後、ジミーがメインでバンドを引っぱり、「Little Games」というアルバムも出しています。この頃のヤードバーズのライブでは、後にLed Zeppelinで聴かれるような曲もやっていて、Led Zeppelinの構想を試していたようなところがあります。「Little Games」では、それまでのヤードバーズとはまた違ったジミー色がふんだんに聴かれます。「White Summer」はまさにLed ZeppelinのBlack Mountain Sideのバリエーションです。また、Led Zeppelin時代もヤードバーズ時代のTrain Kept A Rollin’などを演奏していたりします。
Led Zeppelinへ。
ヤードバーズが解散し、ジミーがLed Zeppelinになるバンドをスタートさせたときもニューヤードバーズと言われていたくらいで、ある面ジミーは、ヤードバーズからLed Zeppelinへ進化していったという感じです。ジミーは、楽曲からステージングや衣裳まで具体的なイメージを持っていたそうです。なおLed Zeppelinの名前にしたのは、ヤードバーズのプロデュースをやっていた元メンバーのジムマッカーティから、名前を使うなと言われたという話があります。マネージメントや権利関係による事情があったのでしょうね。
ジミーが構想していたLed Zeppelinへの野望というか戦略が並々ならぬものであった証拠に、Led Zeppelinの1stアルバムは、バンドの初ツアーの後、ジミーがすべての費用を負担してレコーディングしたそうで、完成したアルバムを持ってレコード会社と交渉したそうです。しかも、レコード会社は音への口出しは一切しないという内容で・・・。やり手ですね〜〜〜。当時、ジミーはまだ20代半ばです。時代や状況を考えるとどれくらい大胆で凄いことなのか想像できます。
そして、Led Zeppelinは、ジミーの狙い通りに大ヒットします。Led Zeppelin結成前にジミーは、第一期ジェフベックグループの初のアメリカのツアーにローディとして同行したそうです。きっと市場調査に行ったのでしょう。そこでジェフベックグループが受けるのを確認し、ボーカルとギターが対峙するような自分の構想も行けると思ったのではないでしょうか。ジェフベック曰く「やつは、ツアーに付いてきて、俺たちのやり方がイケるというのを確信したんだ」的な事を話していました。ロッドスチュワートも自伝の中で「最初の頃は、ジョンボーナムとジミーペイジは俺たちの演奏をしょっちゅう見に来ていた。連中がニューヤードバーズをまとめようとしていた頃だよ。」と書いています。
「Truth」への参加。
ジミーは、第一期ジェフベックグループのアルバム「Truth」にも参加しています。「Beck’s Bolero」はジミーの作曲(ジェフと遊んでいるときに思いついたそう)だし、ここにはLed Zeppelinのジョンポールジョーンズも参加しています。まだLed Zeppelinができる前の頃です。
そういう風にジェフベックとジミーは、常につかず離れずで親しい友人関係を保っていたようで、後年Blow By Blowが発売されたときもジミーペイジは「ギタリストのお手本になるアルバムだ」と絶賛していましたし、ロックの殿堂入りの時のホストも務めていました。
亡くなるまで竹馬の音楽友。
晩年は、雑誌などでもよく対談したり、一緒に写真に写ったりしていました。話の内容も、まるで高校生のバンド仲間の会話みたいで、スーパースターになっても、マインドは青春の頃のままなのだなぁと親しみが湧くと共に、ロックという音楽は、本来そう言うものなのだろうと言う気がしました。だから、ジェフベックがなくなった後のエリッククラプトンによるトリビュートコンサートも、本当にバンド仲間のお別れ会として行われたというムードで、商業臭さがまったくなく、とても良かったです。
あそこになぜジミーがいなかったのかは、分かりませんが、ジェフとジミーとの関係に加え、主催のクラプトンや、参加したロッド、ロンウッドなど、みんな世界のトップミュージシャンですが、青春時代の仲間の頃と同じような空気が流れていました。あのコンサートの終わった後のオフショットがインスタにたくさんアップされていましたが、まるでアマチュア(笑)とっても楽しそうにしていました。
60〜70年代にロックが生まれて半世紀、いろいろなスタイルに多様化し、ビジネス的にも多様化していますが、原点は、高校生のころにギターを弾いて遊んでいた空気なのだと思います。
ジミーペイジとジェフベックは、青春のままレジェンドになり、レジェンドになっても青春時代の空気を忘れない(それがとても心地よかったのでしょう)関係で、それがファンにも分かるし、その空気がアマチュアもプロも関係なく同じなのだと思います。
1970年代のロックが、今の若い人にもアピールするのは、産業化されていなかった頃の青春のポテンシャルのような空気が伝わるからではないでしょうか。そこがロックという音楽の独特の魅力なのかも知れません。
2023.7.6
*こちらにもジミーペイジ関連記事を上げています(部分的に内容被っていますが)。
ジェフベックとジミーペイジのツインリード時代。映画「欲望」の1シーン。
The Yardbirds「Stroll On」(内容はTrain Kept A Rollin’)
「White Summer」
(Black Mountain Sideと同じくイギリス伝統音楽に見られる変則チューニングを使った印度風のインスト)