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「オレンジ」発売直後のインタビュー

このインタビューは、1977年頃にNHK-FMで放送された番組で流れたものを要約したものです。古いカセットを処分しようと整理していたら、録音がでてきました。こんなものがあるのも忘れていました。
内容は、通称オレンジを発売した直後にインタビューされたもので、インタビュアーも外国人で、興味深いことを話しています。これは、オフィシャルなインタビューのようなので、どこかの雑誌に掲載されたかもしれません。番組ではインタビュアーとジェフベックのしゃべる声ににかぶせて同時進行で渋谷陽一氏の訳と説明が入っていました。そのまま話し言葉を文章にすると分かりにくいので、その内容やニュアンスをできるだけ損なわないように要約し流れを調整しています。


——-今度の新しいアルバム「オレンジ」について教えてもらえませんか?
JB—今度の新しいアルバムは、スティーブクロッパーのプロデュースによりメンフィスで作られた。最初にマテリアルの半分はできあがっていて、プロデユーサーの影響については、スティーブ自身はプロデューサーの色は余り出したくないということだった。プロデューサー自身の色をそのアルバムに出したくない、自分で曲を作ったりグループに影響を与えたりということをしたくないということで、つまりジェフベックグループがこれから向かう方向性みたいなものをプロデューサーが見つめていって、それを最もいい形でだしてあげたいと、そういうカタチを望んでいるということだった。そこで、とにかく1カ月後いろいろセッションしたものをスティーブクロッパーのところに持っていき、その上で彼がプロデュースをしてくれた。
——–前のアルバムの出来については満足していますか?
JB—まあ、その当時、アルバムを作る上でいろいろプレッシャーがあった。それは、まあ経済的な問題でもあるし、音楽的な問題でもある。——-それじゃ、今度のアルバムはいいんですね。
JB—まあ、サウンドは良くなった。今でも聞くとドラムのバランスが良い。やはり、良いプロデューサーが指導したこともあるし、スティーブクロッパー自身、メンフィス音楽の経験があったので良かった。

——–前のプロデューサー、ミッキーモストのことについて話してください。
JB—彼は技術的に最低だった。

——–でも彼がプロデュースをしたんでしょう?シングルのマテリアルを選んだりしたんでしょう?
JB—いや、アルバムの基本的な問題に関しては、彼自身は全然関係してないんじゃないかと思う。

———いや、シングルの話なんですが?
JB—まあ、シングルでは彼の影響は、あったかも知れない。
Truthのアルバム制作時点では彼はジェフベックグループのプロデュースからは手を離していた。
彼は、カンヌでヨットばかり乗っていて遊んでいただけだ。彼は、シングルヒットにしか興味がなかった。

———でもハイホーシルバーランニングで歌っているのはあなたですよね?
JB—まあ、そうだ。

<補足>
70年初期、事故にあったのは1969年12月頃で退院したのは翌年の2月頃で、その後再び演奏活動に戻った。その事故は、足は折らなかったが、全身、特に背骨を打って立つこともできなかった。当時ジェフベック再起不能かと騒がれた。

———その事故の後遺症は残っていますか?
JB—時々、考えるのにとても苦労する。医者の話では、こういう状態が2,3年続くそうだ。演奏していると非常にいい状態まで高揚してくるんだけれどもその時点で全然別のことを考えてしまったりする。

———それじゃ、あと1年したらよくなるんですか?
JB—11歳の時に車にぶつけられて、頭を打って頭がでこぼこになっている。そのでこぼこのところをまたぶつけたので、なおでこぼこになってしまった。同じところをぶつけたので医者が非常に心配している。

———-その時意識はあったのですか?
JB—眠ったりさめたりして何だか良くワケが分からなかった。

———–2年の空白期間がありましたが、損失を感じていませんか?

JB—そうでもない。事故だったのだから仕方がない。でもやっぱり演奏したかったな。

———-じゃあ、あなた自身の好みのバンドがあったら、すぐにでもやる用意はあったのですか?
JB—ああ、確かにそうだ。

———-(空白期間の理由は)事故だけではなかったのですか?
JB—いろいろあった。まあ、マネージメント、契約の問題、そういった問題がごちゃごちゃあったので、これを機会に、働けないのを利用してそういった問題をすべて解決してしまおうとした。今まで自分のやってきたことをすべて考え直したいということで、偶然2年間の空白があった。後になって考えてみると、それは非常に良かったと思う。自分自身を見直す時間があったということは非常に有効なことだった。

———–その時に新しい音楽観は生まれたのですか?
JB—自分自身が開発するのではなくて、演奏をしてこう間があいて・・・こう2年かとか空間があったとき、前のと比べたりして昔のことを思い出して、そうしたことで自分自身を客観的に見る時間があってよかった。
今では、もう2年も歳をとったし、今の人の方が頭も速くなって、変化も速いのでいいんじゃないか。

——–今、現在の音っていうのはヤードバーズの頃より静かでしょ?
JB—それは成長したひとつの特長だ。ヤードバーズ時代というのはエネルギーが有り余っていていかにも暴れんぼうでという感じだった。

—その時、あなたはいくつだったのですか?
JB—19歳だった。でも、ヤードバーズ時代は全部のフィーリングを表に出せたし、いろいろ暴れたりなんかして、ごちゃごちゃするよりも音楽を外に表出できた。自分はうまいプレーヤーではなかったが、後の勉強になったのでいいのではないかと思う。

——ヤードバーズ時代にやっていたことは今でも続いていますか?
JB—ある程度は続いている。しかし、前にやっていたものをどんどん先に持っていくというのは好きではない。いつまでも、ああいうことをやっては居られない。
例えばチャクベリーというのは、今、15回目のカムバックをして懐かしくてすごくいいけれども、彼が今何をやっているかについては全く興味がないし考えもしない。彼は、きっと5年先も同じ事をやって頑張っているだろう。しかし、私はそうしたことよりも常に前進を続けたい。

—–聴衆から不満があがりますか?
JB—どういう不満のこと?

—–昔のバンドの曲をやれとか。
JB—もちろん古い曲をやればファンはとても喜ぶけれども評論家は文句を言う。新しいものばかりをプレイする必要はないけれども、それが良くて聴衆に前のヒットを忘れさせる作用があるとすればそれはそれで良いのではないかと思う。しかし、今のように2年間の空白がある場合、古い曲を演奏するのもいいアイデアなのではないかと思う。

<補足>
ヤードバーズはアメリカで2回のツアーをやったが、初めのはたった20日間だけだった。

—–旧ジェフベックグループは人気が高かったので、いろいろ問題があったのではないですか?
JB—え~、人気があったってどうして?前のグループは非常にまとまりがなかった。ファンキーでもなかったし、レパートリーが古いブルースだったし、ちっとも良くはなかった。

—だけどステージでは、良い雰囲気に見えましたが?
JB—自分自身には、わからないな~~。

—–まあ、自然にできあがっていたのかも知れないですけどね。
JB—そうだそうだ、きっとそのとおりだ。まあ、自分自身の演奏には関係ない。初めてアメリカに来たときは突然だったし、それなりの考えというのもなかった。ただ、アメリカに仕事に行くんだという軽い気持ちだった。

—–旧ジェフベックグループを続ける意志はあったのですか?
JB—もともと一緒にいるグループは作りたかったのだ。変わるのはいいけれど、そのグループの核になるものはずっと守り続けたかったのだ。いいレコードを作って、いい音楽を作れば、グループを壊す必要は全然ないだろう。世の中ってのはそういうもんだ。メンバー同士の衝突というものは、どうしても避けられないことで、そういうものは誰だってあるものだろう。

——今度のグループは前より仲がいいですか?

JB—不思議と仲がよい。メンバーは非常にフレッシュで、いままでプロのバンドとしてプレイしたことがなく、ツアーもしたことがない人ばかりだ。

——グループの人はみんなイギリス人ですか?
JB—2人はトリニダート人だ。

——-最近になって古いメンバーについて話しますか?
JB—どういう意味?

—–ロッドスチュアートとロンウッドはマスコミに対して自分たちのことをいろいろ話している。あなた自身はなにか言うことがありますか?
JB—解散の第一の理由は非常に混み入っている。ロッドスチュアートとロンウッドは、適当に話を作って話して居るんだ。今でも第一期ジェフベックグループは、頑張ればずっと続けて行けたのではないかと思う。ロッドスチュアートはグループの解散後について予想できなかったし、僕自身も予想できなかった。ロッドスチュアートの場合は非常に運が良くて、今は非常に金を稼いでいる(笑)。

—–グループが解散した後は、仕方なくいろいろな作業を続けたのですか?
JB—まあそうだ。ヤードバーズ時代もそうだが、バンドの中にいるとグループの一員であることにすごく安心する。グループでツアーをしたりするのは楽しいことだ。

——ツアーは嫌いだったのではないですか?
JB—ツアーそのものは好きじゃないけれども、いい連中といることはすごくいいことだ。みんなで遊んでいるのも楽しいし、それは昔からの夢だった。グループにいるということは経済的にもいいことだし、自分にとってもプラスだ。
自分はバカだからパーティなどでばかばかやっているよりは、みんなと一緒にいる方が楽しいんだ。

——-家族みたいなものですね。
JB—まあ、ケーキ食べてるみたいなものさ。

——プライベートな時間には練習をしますか?
JB—前みたいに長い間休んでいてはすごく大変だ。退院したとき、私の手はギターを全く忘れていた。どっちを持っていいのかさえ忘れていた。入院までは6年間毎日毎日演奏していたので、その時と比べるとすごく違ってしまった。

——–指をトレーニングしなければならないんですね?
JB—まあ、それが一番いらいらする。心はとてもリフレッシュしていて、こういうのを弾こう弾こうと思うんだが、体の方は全然ダメだ。

——-前のレコードと比較すると、今までは一音一音弾いていたという感じが、今度ははっきりとしたメロディーラインを弾いているみたいですが?
JB—それはノート一音一音よりもかたまりの線のつながりの方が表現力があるからだ。

——それは進歩なのですか?
JB—まあ、進歩だ。原因は自分自身が歌わないからだ。歌っていればすごくいいけれども、自分としてはギターを弾いているだけなので、そういう風になったのだ。
みんなは、ギターを弾いているとジェフベックに注目するが、ボブテンチが歌うのだからバンドとしては彼に注目させたい。私がリードを取るのではなくて、あくまで抑えてプレイしなくてはいけない。だから自分自身やりたいことなどを割と抑えているので、すごく難しいことだ。
ボブテンチ自身が内気で、舞台であまりエキサイトしないので、その辺を自分自身でカバーしているし、曲を選ぶのにも苦労している。

——–あなた自身はステージですごく動きますね?
JB—盛り上がってくると自然に体が動く。

——–あなたは、ずっと前からなのですが、ピートタウンゼントなどはある日突然動き出したのですか?
JB—体が動くというパワーのスリルを感じる。一番最初にエレキギターを弾き始めたときには、装置があまりに不良品ばかりだったので、コンサートをしていると言うよりはイクイップメントをテストしているようだった。でもうアンプがめちゃめちゃで実はテープでつないでいた(笑)。ま、今はそういうのはなくなってきた。

———それはグループに入る前ですか?
JB—グループじゃなくて、プレイヤーの集まりでいろいろつくっていた。
ま、楽しみでプレイしていたので、結局みんまで寄って何をしていたかっていうと、誰が一番エレキギターから変な音を出すかのコンテストだった(笑)。
ライブをやるのも大変だけれども、それなりの楽しみがある。ギターを弾いていて一番最高なのは、プレイしたことのない曲をやるとみんがすごくのることだ。舞台からはひとりひとりの反応はすごくよく見える。みんなが一体になって聴いているときは醍醐味だ。

2003.5.25