2023年1月12日の朝、ネットで流れてきたジェフ・ベックの訃報に、あまりにも突然で呆気にとられて、悲しいとかそういう感情もわかないまま、唖然としていました。
私の身内でもないのに、私のジェフ・ベック好きを知る友人から次々にお悔やみのメールが届き、なんだかよくわからないままに、数々の報道を見ていました。私と同様に唖然とされた方も多かったのではないかと思います。
元々「偉大な割に知られていない。もっと世間に知らせよう」と思って1998年にWEBサイト始めた気持ちからすると、あちこちでの多数の報道は「やっぱり世界的に有名だったんだ」という、当たり前としえば当たり前のことに驚きもありました。
そんな中、「あー、ついにその時が来てしまったのだな」とも思いました。ジェフ・ベックだって人間です。もう80歳になろうかという年齢。そう遠くない将来、ジェフ・ベックという偉大なギタリストの歴史が終わるのだという覚悟はしていましたが、あまりに突然であり、その理由もまた「あ、そうなの」というようなものであり、秋にも元気な姿でライブをこなしていたので、なんだか狐に騙されたようでもあります。
ベジタリアンだし健康にも気を使っていそうだったし、元気そうだったし、レスポール氏のように90歳を過ぎてもライブをやっているのだろうと思っていたので、唖然感がより強い。
しかし、やはり歳による抵抗力のなさとかそういうことなんでしょうかね。細菌性の感染症にやられるというのは。
思えば、14歳のときにジェフベックの音楽に出会ってから半世紀以上も全く興味を失うことなく、聴くたびに感動や驚きや発見がありました。そんな音楽に出会えたことだけでも幸せです。
そして1998年から始めたこのWEBサイトは、当初は、月に10人も見てもらえば良いなと思ってたのですが、予想を遥かに超えるたくさんの方に見ていただき、当初は、本当にたくさんの方からメールを頂き、雑誌に紹介されたり、放送局の方から番組作りの資料として役だったと御礼のメールをいただいたり、放送のテープを送っていただいたり、様々な方々と知り合うこともできました。
サイトを見たプロミュージシャンの方から連絡をもらい、セッションなどをして、社会人になってからは行っていなかったバンド活動を20余年ぶりに再開したり。いろいろな刺激が訪れました。
そして、2009年には、大阪でのコンサートの後、あるバーで偶然ジェフ・ベック一行と総合し、iPhoneでジェフ・ベック本人にこのサイトを見せて、握手してもらったことは、言葉に出来ないほどの感激です(あちこちで自慢していますが 笑)。
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いまは、ギタリスト不要論やサブスク、ソロをスキップして聴くなど、音楽の聴かれ方が変化してきていると言われます。しかし、人間は飽きるものですし、同時に感動することの普遍性を持っています。大昔の演奏やアートに感動するように、本当に素晴らしいものには普遍的に人の心を動かすものがあるのだと思います。
ソロをスキップして聴く人というのは、また別の嗜好なのだと思いますね。映画を早送りしたり。それは鑑賞ではなく把握でしょうって(笑)
ジェフ・ベックの音楽で感動する人はいつの時代にも一定の数はいると思いますし、また違った捉え方をする人たちも出てくるのではないでしょうか。
ジェフ・ベックの歴史は終わってしまいましたが、残された膨大で素晴らしい軌跡をもっと多くの人に知ってもらいたい。特にデジタル路線以降のジェフ・ベックしか知らない若い世代にも、指弾きオンリーではなかった頃のジェフ・ベックの魅力を紹介していきたいと思っています。
私の個人的な持論「オフィシャルアルバムを聴くだけでは、ジェフ・ベックの魅力の半分も分からない」に立脚し、他のギタリストでは味わえないジェフ・ベックのギターの凄さや面白さを紹介していきたいと思っています。
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<独断と偏見によるジェフ・ベックの音楽人生>
一般的には、あまり知られていませんが、ジェフ・ベックのギターの原点はロカビリーです。ブルースではありません。ブルースバンドであるヤードバーズの頃の演奏を聞いていても、ブルースというよりは、ロカビリーのテイストがそこかしこに覗いていて、それがバンドの個性にもなり、ヤードバーズをただのブルースバンドでなくしていたような気がします。
有名なジェフズブギーもサウンドはロカビリー的ですね。ジェフ・ベックがアイドルとしているジーンビンセントとともに影響を受けたレスポールもヒット曲「How High The Moon」などを聴いても、ジャズギタリストと言うよりはロカビリーなテイストです。
その後のロッドやロン・ウッドとのジェフ・ベック・グループでは、ブルースを基調にしたサウンドでしたが、ジェフ・ベックのギターソロなどは、決してブルースのそれではありません。やはりまだロカビリー的なアプローチがあり、それがブルースフォーマットの中では、独特の鮮度になっていたように思います。また、元々ソウルミュージックへの興味もあったのが、この頃、ちらほら覗きます。「白いサム・クック」であるロッドをボーカルに据えたことも単にブルースと言うより、もう少しひねりの効いたサウンドを目指していたのでしょう。この当時、ライブでは、アレサフランクリンの大ヒット曲「natural Woman」(キャロル・キング作)をインストでやったりしています。
このソウル志向が、次のジェフ・ベック・グループで明確になります。
その時、BBA結成の予定がジェフの自動車事故で没になりますが、BBAにしてもカーマイン・アピスなどはアメリカ人であるし、のちの活動をみてもソウルフルな面を持っています。後ni実現したBBAではソウルフルなボーカル(というと批判もあるでしょうが 笑)を披露していますし、幻のセカンドアルバムのプリプロ音源を聞いても、モータウンのような曲が入っています。
だから、第二期ジェフ・ベック・グループでモータウン的なサウンドを目指したのは、ごく自然な流れだったのでしょう。
後の迷信騒ぎでも分かりますが、ジェフ・ベックは当時スティービーワンダーに憧れており、オレンジアルバムでは、スティービーの「I’ve Got Have a song」をカバーしています。
第二期ジェフ・ベック・グループの後期のライブでは、スティービーとのセッションでもらった迷信を速くも披露しています。
その後、BBAに移行しますが、3人組になりサウンドはハードロック的にはなりますが、曲の傾向は第二期と近いものです。
「クリームの再来」のように言われていたようですが、クリームとはぜんぜん違うサウンドです。スタジオ盤の「迷信」とライブ盤の「迷信」を比べると、ライブのほうがとてもタイトでファンキーになっています。ハードロック的でありながら、16ビート的なファンクを兼ね備えていたのがBBAで、レッドツエッペリンの16ビート的感覚よりもっとファンク的です。このあたり、ジェフ・ベックの中にかなり濃くソウルというかモータウン的な志向があったのだと思います。
しかし、その頃、新しい興味がジェフ・ベックにもたらされます。ビリー・コブハムのスペクトラムです。ジャズ・ロックというある技巧的エモーションの世界。BBAが頓挫した理由は、メンバー間、特にジェフ・ベックとティムボガートの仲の悪さが言われていますが、ジェフ・ベック自身、BBAのサウンドよりスペクトラム的なグルーブに興味が行っていたのではないかと思います。そのへんとティムやカーマインが合わなくなったのではないのでしょうか。BBA後期、開催間際には、インストルメンタルでジャズ・ロック的な曲をやっています。
スペクトラム的なサウンドをジェフ・ベックなりに模索していたのではないかと思います。で、BBAではうまく行かない。その時、ぜんぜん違う方向からUPPに出会い「これだ!」と思ったのではないでしょうか。
そこでBlow By Blowのコンセプトが明確になった。Blow By Blowのサウンドは、UPPととても似ています。
その頃にBBAにマックス・ミドルトンが加わって行ったセッション音源がありますが、Blow By Blow的ではあるけど、ファンキーさが足りない、そんな感じがします。それでジェフ・ベックがBAではだめだなと思って、新たなメンバー、ゴンザレス関連でフィルチェンとリチャードベイリーが抜擢されたように思います。ちなみにフィルチェンとは、ヤードバーズの頃から知り合いだったとJeff’ Bookには書かれています。
日本にも来た1975年のBlow By Blowツアーでは、リチャードベイリーに変わってファンキーの雄、バーナード・パーディが参加していることからもかなりファンキーなサンドを志向していたのだと思います。
ロカビリー〜ブルース〜ソウル〜ジャズ・ロックと変遷してきた志向がソロ以降にしばらくジャズ・ロック的なものを漁る感じでWired、ヤン・ハマーとのライブ、There And Backときて、このあたりでだいたいやり尽くした感があったのではないかという気がします。それで、血迷ってFlashではダンスミュージックのナイルロジャースなどにプロデュースをたのんで中途半端なアルバムになり、ジェフ・ベック最大の駄作と呼ばれてしまいました。
There And Backから参加しているトニーハイマスは、過去のキーボーディストとはまた違った世界観の人で、そこに新鮮味を見出していて、Flashで反省したジェフ・ベックは、新たな境地を見出します。
現代音楽を畑とするトニーハイマスの和音やリズムの世界観は、今までとは全く違ったもので、そこにこれも今までとは違う畑のプログレ的なテイストを持ったテリー・ボジオが加わることで、過去のジェフ・ベックにはない宇宙的と言うかスペーシーな世界観が生まれてGuitar Shoというアルバムに反映されます。
この頃(Flash頃から)、すでにジェフ・ベックは指だけで弾くようになっていて、そのサウンドもまた、過去のジェフ・ベックとは違った音で、スペーシーな世界観の中でよりしなやかに自由に動き回る感じがします。
1995年に行った北米ツアーでは、ベースにピノパパラディーノが加わり、この頃のジェフ・ベックの演奏は、まさに神がかったようであり、Charの表現を借りれば「弾いていないようなのに音が出ている」感じです。このときのライブのプロショット映像はないものでしょうか。
しかしこの頃、世間では、ダンス音楽がメインストリートになり「ギターソロなんて聴くやつが居ない」と言って10年間、ジェフ・ベックはオフィシャルアルバムを出していません。しかし、ジェフ・ベック自身、やろうと思っていたことをやり尽くしていたのではないかという気もします。
—続く