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泣く子も黙るBBA。

初来日は、BBAでした。まだ、外タレの来日コンサート自体が珍しい時代。この時の大阪公演は、当時日本だけで発売された2枚組のアルバムになっており、なかなか聴きごたえのある内容です(2023年秋にロンドン公演とBOXセットになって発売)。
今となっては、これに行った人は貴重です。ところが、いるんです、友人に。まさにあのアルバムになっている日に行った人が。追って、その際のパンフレットとその方の感想をアップする予定です。
・・・っと最初にかきながら、ついにアップせず仕舞い(^^ゞ
行った人よると、なんか凄すぎて何をやっているのか分からないというのが、正直な感想だったと言っています。

ブートレグをBBAのブートレグを聴くと、同じ曲でも、これだけ違うのかと言うほど、本当に毎回毎回違います。特にソロなどは、出だしからまったく違います。BBAは、初期の頃(1972年夏〜冬:ただしアピスによるとこの時期はジェフベックグループのサポートという位置づけらしい)は、第二期の続きでギターもストラトだし、アレンジもまだ流動的な感じでした。アルバムのレコーディングが、その年の12月に行われ、同時にその直前に例の黒い(本当はオックスブラッド)レスポールを入手しています。年明けからは来日公演は、アレンジも固まり、ギターもレスポールに変わって、BBA中期(正式なBBAデビュー)に入ります。この頃が一番乗っていたようで、そんな中の5月に日本公演ですので、とても良い時期に来たと言えると思います。
その後のBBAは、終盤メンバー間、特にジェフベックとティムボガートの折り合いが悪くなって険悪な状態になって来ます。曲もブローバイブローに通じるようなインストなども増えていき、サウンドが変化していきます。セカンドアルバムのデモを作ったものの、翌年(1974年)の1月のレインボーコンサートを最後に解散してしまいました。
そんな良い時期の来日であると共にオフィシャルなライブアルバムとして残っている貴重な公演でもあります。

<来日時のパンフレット>2023年発売BOXセットの付録
表紙は、本当は縦使いになっています。3枚目の左の2人は誰やねん?